意地を張る
2013年 12月 05日
政府による3月の辺野古埋め立て申請後、知事が埋め立て承認を前提に自身の考えを述べたのは初めて。知事は判断時期を「早くとも今月末以降」としている。
仲井真知事は、野党議員からの「埋め立てを不承認とすべきではないか」との質問に答えた。知事は「仮に結論に近い趣旨のことを言うのもなんだが」と前置きした上で、「辺野古移設は長期化し、普天間の危険性が温存される。日米両政府は辺野古の難しさを理解しないと結局進まなくなる」と指摘。「それを改善するには、県外で既に滑走路がある所に移したらどうかということ。部分的であれ、暫定的であれ、『県外』というものは模索しないと現実的にはならない」と述べた》=13年12月5日13時14分 読売新聞=。
腹の中ではそうなっても仕方ないと思いながら、口を開くと思いとは裏腹な言葉が出てくる。
いい加減に素直な行動をとってもいい頃だ。
昔は第二の琉球処分だと言われればなるほどと思い、日本軍が沖縄県民に加えた暴虐の話を聞けばその非道さに怒りを覚えものだ。
しかし、世の中には表立って言われてきた事とは違う裏もあるのだと知れば、仲井眞の本土人を睨みつけるような表情もことさら作り上げた物ではないかと思えるようになったきた。
従軍慰安婦として日本兵の性欲のはけ口とされてきた可哀想な朝鮮人女性はただの売春婦であったり親に売られた「可哀想な」女性だった。
両親の死後に慰安婦だったと言い出したのは親を大切にする儒教精神が働いたからだろうか。
生きている時には両親の批判になるような言動も行動も抑制が掛かっていたようだ。
残念な事に日本側にも朝鮮人や中国人を蔑視する風潮があり、それが、日本人へ原罪意識を植え付けた。
そろそろ、素直な心情を吐き出すように努力すべきときではないか。
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