故意による遅配か?
2013年 03月 07日
・・・略・・・
問題の親電は41年12月7日正午、東京の中央電信局に入電。しかし、米大使館のグルー大使に配達されたのは同日午後10時半だった。大使から東郷茂徳外相を経由し、昭和天皇に伝達された直後に、真珠湾奇襲が始まった》=13年3月7日14時52分 読売新聞=。
当時も迅速な対応をしていたはずの「逓信省?」がよりにもよって、受け取ってから10時間後に配達したのか。
その間、電報文はどこに留まっていたのだろう。
外交官でもない私には高度な問題はわからないが、アメリカ大統領から天皇へ送られる電報といえども、いったんは大使館へ届けられるシステムなのか。
もし私が歴史学者なら、この10時間余について研究するのだが。
勝手な推論をすれば戦争をしたいグループが送付を阻害したか、もしくは「親電文」の中に「暗号」が含まれていると思い込んで解読作業に手間取ったのか。
どちらにしても第二次大戦の空間を埋める重要な作業になる。
能力が無いので私は手を付けないが。
ブログランキング用
にほんブログ村