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真贋を問い疑問に感じた事を口に出したい


by neruumitubame

70年代前後には話題にならなかった従軍慰安婦

 《スイス・ジュネーブで3日(現地時間)に開催された国連人権理事会の一般討論で、日本政府代表は旧日本軍の従軍慰安婦問題について「第2次世界大戦に関する賠償問題はサンフランシスコ平和条約および別の2国間条約などで法的に解決済みだ」とする従来の主張を繰り返した。韓国政府代表の批判に答えたもので、韓国外交部が4日に伝えた。

 日本代表は併せて、元慰安婦の支援に向け1995年に設立された「アジア女性基金」に最大限の援助を行ったと訴えたという。

 韓国政府代表はこれに対し、「慰安婦問題は1965年の韓日請求権交渉で議論されておらず、解決もされていない」と述べ、韓国側が提案した慰安婦問題をめぐる2国間協議に応じるよう、重ねて日本側に求めた》=13-06-04 17:15 聯合ニュース 太字by海つばめ=。

 1965年の韓日請求権交渉というのは「日韓基本条約」交渉の事だと思うが、その予備会談は1951年10月20日から開始された。

 日本敗戦から6年後に動き出した交渉が纏まったのは1965年で終戦後25年経過している。

 「韓日請求権交渉で議論されておらず」という点は、つまり韓国側はその時点まで「朝鮮人強制連行慰安婦」問題の存在を知らなかったのだ。

 知っていれば当然何らかの話題になったはずだから。

 《慰安婦に関する問題は戦後すぐに起こったのでなく、1970年代になってから、旧日本軍が戦地の女性を強制連行し、慰安婦にしたとする本がいくつか出版されて明るみになった。初期ウーマン・リブの運動家田中美津の1970年の著作に「従軍慰安婦という一大便所集団」※この辺りの表現には明らかに蔑視感が出ているがby海つばめ※の「大部分は朝鮮人であった」「貞女と慰安婦は私有財産制下に於ける性否定社会の両極に位置した女であり、対になって侵略を支えてきた」という記述がある 。

 1973年には千田夏光『従軍慰安婦』(双葉社)が刊行され、朝鮮人女性が20万連行され、そのうち5〜7万が慰安婦とされたと書く。のちのアジア女性基金調査(高崎宗司)によれば、これはソウル新聞の記事の誤読ではないかとし、また数値の根拠は不明としている》=何でも判るWikipediaより=。

 「朝鮮と朝鮮人に公式謝罪を・百人委員会」事務局長青柳敦子と在日朝鮮人宋斗会が韓国で謝罪と補償を求める訴訟の原告を募ったのが慰安婦問題が日韓の懸案になった最初のようだ。

 これが何年の事か何でも判るWikipediaにも記載されていないが、1991年には、韓国で元慰安婦が初めて名乗り出て、自らの体験を語ったとされる。

 少なくとも70年代前後まで慰安婦が自ら証言した事実は無いようだ。

 理由としては、そういう「強制」事実が無く自らの意思で応募したか、もしくは「売春」に従事していたのを隠しておきたかったからと考えられる。

 あるいは、両親が死ぬまでは彼らに売られたというのは告発しにくかったとも考えられる。

 日本には元売春婦だったと弟がはっきりと述べたのに、平然としてテレビに出演していた女性もいたがそれまでの朝鮮人女性には「恥」というものがあったのだろう。

 しかし、これは金になると思った連中が焚き付けて「従軍慰安婦」問題を作り上げたとすると、それは政治的な行為で政争の具だ。

 最近は日本にもその動きが見られるが、選挙の不正を言い立てて反対勢力への非難を繰り広げる動きも、確たる証拠が挙げられるケースは少ない。

 従軍慰安婦問題の火付け役と言われる男吉田清治については何でも判るWikipediaよりにこう書かれている。

 《陸軍軍人の吉田清治(本名:吉田雄兎)が自著『朝鮮人慰安婦と日本人』(新人物往来社 1977年)で、軍の命令で自身が韓国の済州島で女性を「強制連行」して慰安婦にしたと告白し、さらに1982年に樺太裁判で済州島で朝鮮人奴隷狩りを行ったと証言し、1983年7月に戦中済州島で自ら200人の女性を拉致し慰安婦にしたと証言する『私の戦争犯罪―朝鮮人強制連行』(三一書房)を出版したことに始まる。

 1983年11月10日には朝日新聞が「ひと」欄で吉田清治を紹介した。この吉田の著作内容はのちに済州新聞の許栄善記者や秦郁彦らの調査の末、捏造であることが明らかになり吉田本人も創作と認めることとなるが慰安婦問題は著作を離れ一人歩きすることとなる。

 ‥‥略‥‥

 吉田の著書は1989年に韓国でも出版され、同年中に済州島新聞(1989年8月14日付や済州島郷土史家の金奉玉によって虚偽であることが判明し日本人の悪徳を表す軽薄な商魂の産物であるとされたが、「朝鮮と朝鮮人に公式謝罪を・百人委員会」事務局長青柳敦子と在日朝鮮人宋斗会が韓国で謝罪と補償を求める訴訟の原告を募い、吉田は韓国に渡り、謝罪碑建立と謝罪活動を始めた》=何でも判るWikipediaより=。

 捏造である事を指摘されながら図々しく活動を続けた吉田という人物の実体はいかなるものだったのだろう。

 ただたんに従軍慰安婦なんて存在しなかったと主張するだけでなく、朝鮮人自身による調査で否定された事、フィクションだった事を作者が認めている、そういった事実を全面にたてて反論する必要は無いだろうか。

 そして、決定的なのは年齢の違いだから、それを印刷して公にすべきだ。

 相手のいう事に「違う」と言うだけでは、従来の日本外交を踏襲するだけでまた失敗を招くだろう。

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by neruumitubame | 2013-06-05 12:47 | 国際