産経の橋下嫌い
2014年 11月 07日
直接的な表現では書けない事をそれとなく匂わせたり、婉曲な言い回しをしたりする時があるからだ。
《ヘイトスピーチ(憎悪表現)を問題視した大阪市の橋下徹市長が「在日特権を許さない市民の会」(在特会)との面談で罵声を飛ばしたことが、6日の市議会特別委員会で取り上げられた。共産市議は批判的な質問を重ね、「尊敬される市長になってほしい」と求めたが、橋下市長は「万人に尊敬されたくはない。批判を受けても、やるべきことをやる市長になりたい」と言い返した。
「面談には開いた口がふさがらない」。委員会で質問に立った共産市議は数メートル離れた席に座る橋下市長を痛烈に批判した。
‥‥略‥‥
「全国放送されれば、批判はある。共産党も(ヘイトスピーチ対策を)やってください」。橋下市長はこう求めたが、共産市議もすかさず「(当日は)2閣僚が辞めた。残念ながら全国放送ではないと思う」と皮肉交じりに反論。橋下市長も思わず苦笑を浮かべた。
その後も共産市議の発言中、橋下市長は挙手して「答弁させてください」と連呼。共産市議が「結構です」と拒むと、市議や職員がどっと沸いた》=14.11.6 20:04 産経サイト=。
物書きではない私には、この記事は橋下への皮肉を感じるのだ。
あるいは記者が共産党シンパなのか、それは無いとは思うが。
それはともかく、さすがの橋下も委員長の許可無く勝手に喋る事はしないようだ。
国会の大臣や安倍も見習って欲しいと思う。
質問の範囲を超えて答弁したりするのが目立つ大臣が、というか総理大臣がいるのは見ていて見苦しい。
さて、ヘイトスピーチか‥‥‥。
勝手に公共の公園に物を置く行為を批判するのは差別なのか。
それが差別なら、外国人の犯罪に付いては何も言えなくなる。
○○人だから、○○人はというのが先にあればそれは「差別意識」から来る発言になるが、○○人が悪い事をしたと事実を指摘するのはどうなのか、少なくとも微妙だとは言えないだろうか。
名前を知らなくて国籍だけを知っている場合はそういう言い方になるのでは。
それは他の○○人への偏見を助長すると指摘されればそうなのだが。
以前、仕事で一緒になった人はなんでそこまでと思うほど、「朝鮮人は」と言っていた。
よほど酷い事をされたのだろうか、会社を経営していたそうなので騙されて乗っ取られたとか、取引で誤摩化されたとか。
そういう事があって倒産したというのなら悪く言うのも理解出来る。
言い方からして、たんに朝鮮人だからと悪口を言っているようにな口ぶりではなかった。
それぞれの言い分があるから一概には言えないが、差別するのはいいこことではないのは自明の理だ
だから、正当な批判も許されないのかどうか、それはなぜそうなったのかを知る必要があると思うのだが。
その人が来るたびに誰かと喧嘩になるとすれば、「貴方には出入りしてもらいたくない」と通告するのは差別なのか?。
その人が喧嘩を吹っ掛ける相手が特定の国籍の人であればその人に差別意識があるからだとなるが、そうではなく誰彼構わずに喧嘩をするようなら出入り禁止は差別とは言えないだろう。
具体的な事情が判らなければ安易に差別だと言えない場合もあるのではないか。
××さんは悪い奴だと言っても判らない場合は、□□の家の××という言い方をする。
それは決して□□家全体を差しているわけではないが、そう受け止める人もいるだろう。
生身の人間だから難しいところがある。
‥‥‥‥‥
最近午後10時頃には眠くてアクビが出るが、それを過ぎて12時頃になると眼が冴えてきて眠れない。
でも頭脳は眠りかけているのでまともな文が書けない、辛いところだ。
これも中途半端な文章になってしまった。
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