健さんの傍に行きたい
2014年 11月 24日
「幸福の黄色いハンカチ」のロケ現場、夕張市内の「記念館」での訪問客へのインタビュー風景。
なんだ、高倉健がいた撮影現場に来たかっただけなのか。
昨晩は夜に放送された公共放送の密着取材を見てしまった。
テレビでは珍しい「昭和残侠伝」も一部が放送された。
驚いた体験話も語られた。
子供時代には毎日のように喧嘩で殺された死体を見たとか、落下傘が開かずに墜落死した米兵の死体からモノを盗ったという話も出てきた。
喧嘩で殺された死体の話は子供時代の記憶だから強烈に残っているだけで、実際は毎日死体が転がっていたわけではないだろう思う。
祭りでは酒に酔った連中が些細な事で揉めて喧嘩になるというのは、炭鉱の町だから全国から集まった労働者が暗いアナグラの中でススまみれになりながら、いつ落盤事故で命を無くすかわからない緊張感から解放される一瞬だからか。
それにしても、高倉健の意識の中に「死体がゴロゴロ」していた記憶が刷り込まれるような環境には違いなかったようだ。
本人も酒を飲んでの喧嘩が多かったようで、それを気にして断酒したとか。
そのあたりが高倉健の人間性の評価を上げる要因なのか。
人間の価値は棺桶の蓋を覆った時に決まるというが、そういう意味で高倉健は改めて日本人に「価値」を認識させたようだ。
小林稔侍が思い出を語った。
高倉の家を訪ねた時に、小学生ぐらいの男女が海を眺める絵が飾られていたという。
江利チエミとの間には流産した赤子がいた。
それが無ければごく普通に子供がいた家庭に暮らしていたのかもしれない。
そんなエピソードだ。
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